新庄剛志さん、現役復帰は投手と打者との二刀流でお願いします。
守備の名手であり、ダイビングキャッチを何度か甲子園球場のカメラ席から目の当たりにすることがあった。
そもそも守備が上手いのであれば、そんなギリギリのプレーではなく、
打球方向を予知して早めにスタートを切れば良い、
などと分かったようなことをのたまういう御仁がおられる。
そんな方に問うてみたい。
「ならば、アンタは出来るのか?」
広い甲子園球場だと
ヘタをすれば、3塁打にもなってしまいかねない。
そんなピンチを身体を張って防いでくれたのだ。
余談ながら、
平凡な外野フライを必ずジャンプしてキャッチしていた。
理由は、
西日本短期大学附属高校時代に先輩が校舎の2階から生卵を投げて、
それを割らないようにキャッチするためだったからなのだそうだ。
われわれカメラマンは【注1】、打球がセンターへ飛ぶたびに、
なぜわざわざジャンプするのか、最初のころは不思議でならなかった。
その新庄選手。
バッティングに関しては、以前のブログでもお話させていただいたので割愛するが、
とにかく守備がすごかった。それとあの強肩である。
1999年、阪神タイガースの監督に就任して1年目の野村克也氏が、その強肩に魅せられ、キャンプそしてオープン戦と投手で起用したことがある。
実現しておれば、メジャーリーガー、大谷翔平選手よりも先に二刀流で話題をさらっていたかもしれない。
ヒザの故障によって断念したということになっているが、後に本人が否定している。
投手というポジションを楽しめていなかったのが真相のようなのだが、
あのまま続けていたなら、大谷選手よりも先に二刀流で話題をさらっていたことだろう。
残念でならない。
不可能を可能にする男だけに、本当にもったいない。
それにしても野村監督は、本気で投手起用を考えていたのだろうか?
1996年のオールスター(東京ドーム)で
イチローを投手としてマウンドに送り、読売ジャイアンツの松井秀喜選手との
対決で盛り上げようとしたことがあった。
【注2】
さも私しかその場にいなかったような書き方をしてますが
あなたもテレビ、もしくは観客席でご覧になられたかと思います。
つまりプロとしての礼儀は十分すぎるほどわきまえていたはずである。
ということは
たとえオープン戦とは言え、
1998年春に2試合登板しているということは
野村監督は本気モードで投手起用を考えておられたのだろうか?
残念ながら野村克也監督は亡くなられてしまったので
【注3】
今となっては、確かめるすべもない。
ただし
投手の立場から打者への配球を知ることで、それが自身のバッティングにも生かせる
という目的もあったのだろうが、
そもそも新庄選手自身が“宇宙人”なので、相手の配球を読もうなどという意識があったのかどうか。
↓ 写真は、現役ゴールデングラブ賞受賞カード2000BBMG18 ↓
二刀流はレギュラーシーズンでは実現しなかったが
やはりチームのピンチを何度となく救った、
あのセンターの守備位置が、一番向いていたのだと思う。
外野からの目の覚めるような返球は
イチロー選手のレイザービームに匹敵する。
ついでながら強肩といえば
古くは巨人のV9を支えた読売ジャイアンツの高田繁外野手が思い起こされる。
『鉄砲肩』なんて表現は最近こそ、されなくなったが
いまでもYouTubeで見ることができたと思うので、
機会があれば、ご覧になられるのも良いかと思う。
ただし、著作権違反で消されていたなら許してね。
なおこの新庄剛志選手のゴールデングラブ賞受賞カードが発行されたのは2000年。
その表に使用されているダイナミックな写真、自身の勝手な憶測なのだが、これって阪神タイースのキャンプ地、安芸市営球場での紅白戦か何かでマウンドでのピッチングのシーンなのではないだろうか。
撮影している角度から、
そんな気がする。間違ってたらごめんなさい。
まあ、マニアックな話なんて、どうでもエエかwww
新庄剛志さんは
今年になってから現役復帰を目指しているとの発言が話題になった。
できることなら
投手と打者との二刀流で復帰してもらいたい。
球速は何km/h出るのか? どんな変化球を投げるのか?
プロ野球ファンににそんな夢を描かせてくれる新庄さんって
やっぱりスゴイ人なんだな、と改めて思った。
あっ、
地球人ではなく、宇宙人でしたねwww
【注1】筆者は当時、阪神タイガース担当の新聞社勤務カメラマン
【注2】このときのマウンドのイチロー投手、代打を告げられた松井秀喜外野手、打席に立った高津臣吾投手、いずれも後に渡米し、メジャーリーグでも活躍している。