カードショップAkiraの店長ってこんなオッサン。自己紹介も兼ねての回顧録
こちらのブログをご覧頂きまして、ありがとうございます。
かなりの長文となります。
最後までおつきあいください。
よろしくお願いします。
カードショップAkira。といっても別にお店があるわけではない。
SNSでアカウント名を作らないといけないので、テキトーにつけただけ。
本職はプロフォトグラファー。
ほとんどの方が
「オマエ誰やねん?」
ってな感じでしょうから、自己紹介を兼ねて経歴を紹介させていただきましょう。
昭和63年(1988年)に関西学院大学【注1】を卒業して、産経新聞大阪本社に入社。
この新聞社を選んだ理由は、サンケイスポーツというスポーツ新聞も発行しているので、そちらで仕事をしたい、というものだった。
まあ、あの論調が好きだというのもありましたから。
駆け出しの記者だった1988年は、
阪神タイガース史上最強の助っ人と言われるランディ・バース選手が息子さんの病気の治療のために帰国してそのまま退団。
同じくタイガースの日本一を支えた掛布雅之選手が33歳という若さで現役生活に別れを告げた。
タイガース暗黒時代の到来の序章でもある。
私鉄を親会社に持つ在阪の老舗球団、南海ホークスはダイエーに、阪急ブレーブスはオリエント・リース(現オリックス)にそれぞれ身売りをするなど球界の激震に遭遇することとなった。
つい1年前までは単なるプロ野球ファンの大学生だった自分にとって、
信じられないことが次々と目の前で起こっていくのだ。
いったい、この先どうなるんやろ?
まさか近鉄バファローズは無くならないよね?
なんて当時は心配していた。
まだサッカーのJリーグが発足する前【注2】、ラグビーワールドカップで日本にブームが湧き上がるはるか以前のできごとである。【注3】
なお関西というエリアは、春はセンバツ、夏も高校野球。年末年始は花園で高校ラグビーと、高校スポーツの全国大会が開催される。
昭和50年(1975年)までは、高校サッカーも関西で開催されていたのは、あなたもご存知のことだと思う。
別にわざわざ東京へ行かずとも、関西でもいろんなスポーツに触れることができた。
まあ、
なんだかんだと振り回された入社初年度だったが、
翌1989年から希望通り、写真部への配属された。
1991年の秋季キャンプからは、阪神タイガースを担当し、亀新フィーバーのあった1992年こそ優勝争いをしたものの、まさに暗黒時代にお付き合いさせていただくことになる。
自分自身にとって転機となるのは、
近鉄バファローズの野茂英雄投手がメジャーリーグに挑戦し、ロサンゼルス・ドジャースと契約し、渡米したことだ。
初めて目にしたメジャーリーグの“ベースボール”は、かつてヤクルトスワローズに在籍したボブ・ホーナーが語ったように、自分がいままで見てきた“野球”とはたしかに異質なものだった。
新人王を獲得したこともあるドジャーズの主砲、マイク・ピアザ。2アウトランナーなしで放った打球はピッチャーゴロ。すると、なんとなんと、ファーストベースまで全力疾走するではないか。まるで高校球児そのものである。
他のメジャーリーガーの姿勢もそんな感じだった。
いかに日本の野球が、来日した外国人選手からナメられているか、初めて知る事になる。
力vs力の激突。抑えの切り札がストレートを打たれたならば、次の打者にもストレート、また次の打者にもストレート。連打を浴びてもひたすら同じ球種で勝負する。
なんでやねん! 配球とか考えろよ!
思わず叫んでいた。
日本のように応援団がいないから、ひたすら退屈である。
スタジアムのアナウンサーが盛り上げようとするのだが、こと応援に関しては日本の方がはるかに盛り上がるし、熱狂的。比べ物にならない。
野茂投手が日本人として初めてMLBオールスターの先発マウンドで投げる勇姿。
ヒューストン、マイアミ、シカゴ、セントルイス、ピッツバーグ…。どこにいっても超有名人で、日本人として誇らしかったな~。
↑ 1995年ナ・リーグ西地区優勝の瞬間@カリフォルニア州サンディエゴ
サンディエゴでのナ・リーグ西地区優勝の瞬間にも立ち会えたこの平成7年(1995年)は生涯、忘れられないものとなった。
このとき、某スポーツ新聞の野茂番記者でメジャーリーグカード収集家でもあった方に影響を受けてカードを集めることとなった。
翌1996年のフロリダ州べロビーチは、お昼頃には仕事が終わるので
あまった時間を利用してフロリダ半島のカードショップ巡りをした。
どんな街にもカードショップがある。
アメリカの文化として根付いていいるのだろう。
日本ははるかに及ばない。
悔しい~
いまヤフオクに出品しているのは、帰国してから日本のカードショップで購入した野球カードがほとんどだ。
もっと、ショップの人だけでなく、いろんなコレクターがヤフオクやメルカリに出品して、売買が盛んになればいいと思う。
そしたらもっとトレーディングカードの値打ちも上がるのではないだろうか。
いまの小学生が大人になったとき、コレクションしたトレカを売りに出せば、
ビックリするような値段がついた!
なんて話、夢があっていいと思う。
個人的にはカードが投資の対象となるような、そんな世界を夢見ているのだが、
いかがだろうか。
こんな長文を最後までおつきあい下さいまして
ありがとうございました。
これからも
よろしくお願いします。
【注1】『関西学院』と書いて、『かんせいがくいん』と読む。アメリカンフットボールの悪質タックル問題で日大の監督が、『かんさいがくいん』と読んで、OBOGから大ヒンシュクを買った。個人的には読みにくいので、変更しても構わないと思っている。
【注2】Jリーグの発足は平成4年(1992年)のことである
【注3】ラグビーワールドカップ2019日本大会で日本ににわかラグビーファンが増えて、ラグビーブームが到来する。
どうでもいいことながら、筆者は大阪府立美木多高校時代ラグビー部だった。とにかく弱かったけど、今となっては楽しい思い出である
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カードショップAkira
本業はプロフォトグラファー
趣味で集めたプロ野球カードなど
スポーツのトレーティングカードを
ヤフオクで出品中
Facebook:fb.me/cardshopakira
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